「話せない」のではなく、「話さない」生徒

目次
1. 「話せない」のではなく、「話さない」生徒
2. 能力の壁なのか、話すことへの壁なのか
3. 「話さない」は、自分を守るための行動かもしれない
4. 話すこと自体が、学習の一部
5. 「もっと話してください」では変わらない
6. 話さない生徒に、知識を足し続けない
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「話せない」のではなく、「話さない」生徒
こんにちは。
Enuncia代表のハミルトン葉奈です。
レッスン中、生徒がなかなか話してくれない。
そんなとき、私たちはつい、「まだ語彙が足りないのかな」「この文法は難しかったかな」「もう少し練習が必要かな」と考えます。
もちろん、本当に日本語力が足りなくて話せないこともあります。
でも中には、作文を書かせればきちんと書ける。
チャットなら長い文章を返せる。
こちらが選択肢を出せば、正しい答えも選べる。
それなのに、会話になると急に黙ってしまう生徒がいます。
こういう場合、「話せない」のではなく、「話さない」可能性も考えてみる必要があります。
能力が足りないのか。
それとも、話せる力はあるけれど、何らかの理由で話すことを避けているのか。
この二つを見分けることも、教師の大切な技術ではないでしょうか。
能力の壁なのか、話すことへの壁なのか
まず見たいのは、条件を変えたときに、その生徒の日本語がどう変わるかです。
口頭ではほとんど答えられないのに、「一度書いてみてください」と言うと、きちんと文章が作れる。大人数では発言しないのに、一対一なら話せる。
ある話題ではほとんど発言しないのに、自分の趣味については急に流暢になる。
こうした違いがあるなら、単純に「日本語力がない」とは言えません。
反対に、書いても作れない、時間をかけても表現できない、場面や相手を変えても同じところで詰まるのであれば、語彙や文法など、能力面の問題が大きい可能性があります。
つまり、生徒が黙っているとき、「何ができないのか」だけでなく、「どんな条件ならできるのか」を見る。これだけでも、原因の見え方はかなり変わります。
「話さない」は、自分を守るための行動かもしれない
では、話す力があるのに、なぜ話さないのでしょうか。
間違えるのが恥ずかしい。
話すたびに細かく訂正される。
発音に自信がない。
こうした経験が重なると、「話すと嫌なことが起きる」という予測ができてしまうことがあります。
心理学には「学習性無力感」という考え方があります。自分が何をしても状況を変えられない経験が続くと、やがて行動そのものを控えるようになるというものです。
語学学習で起こる沈黙を、そのまま学習性無力感と呼べるわけではありません。
ただ、何度話しても訂正される、頑張って話しても「ここが違います」と言われ続ける、といった経験が重なることで、「話してもうまくいかない」と感じ、発話そのものを避けるようになる可能性はあります。
以前、「生徒の間違い、全部直していませんか?」という記事で、訂正しすぎることで発話量が減ることがあるという話を書きました。
教師としては、生徒のためを思って直している。
でも、生徒側では、話す→訂正される→また話す→また止められる、という経験になっているかもしれません。
そうすると、間違いを減らす前に、発話そのものが減ってしまうことがあります。
話すこと自体が、学習の一部
ここで大切なのは、「別に話さなくても、聞いて理解できていればいい」とは限らないことです。
第二言語習得では、言語学者メリル・スウェインの「アウトプット仮説」がよく知られています。
簡単に言えば、言葉を実際に使おうとすること自体が、学習を進める役割を持っているという考え方です。
聞いているときには「分かった」と思っていた表現でも、いざ自分で話そうとすると、「この助詞、何だったっけ」「この場合、過去形かな」「言いたい単語が出てこない」と気づくことがあります。
使おうとして初めて、自分が何を分かっていないのかが見える。
そして、その不足を埋めようとすることで、学習が進んでいきます。
つまり、話すことは「学んだことを披露する時間」だけではありません。
話すこと自体が、学習する時間でもあります。
だから、話さない状態が長く続けば、その学習機会も少なくなります。
「もっと話してください」では変わらない
では、話さない生徒に、「もっと話してみましょう」「間違えても大丈夫ですよ」と言えばいいのでしょうか。
もちろん、それも意味はあります。
でも、それだけでは変わらないこともあります。
本人にとって話すことがすでに「リスクのある行動」になっているなら、「怖がらずに話してください」と求めるだけでは、心理的なハードルは下がりません。
必要なのは、話しても大丈夫だった、という経験を少しずつ増やすことだと思います。
最初から長い答えを求めない。
「好きですか?」と一言で答えられる質問から、「何が好きですか?」「どうしてですか?」と少しずつ広げていく。
いきなり長く話してもらうのではなく、一言、二言、短い文と、段階的に発話の負荷を上げていきます。
また、「今から3分は、間違いを直さずに最後まで聞きますね」と伝えて、訂正されない時間をつくる方法もあります。
それだけで、「話しても途中で止められない」という新しい経験になります。
低いリスクの発話から、高いリスクの発話へ。
段階を踏むことで、「話せた」という経験を積み重ねることができます。
話さない生徒に、知識を足し続けない
「話せない」と判断すると、私たちはつい、
もっと文法を教えよう。
もっと語彙を増やそう。
もっと練習問題をやろう。
と考えがちです。
でも、ここで原因を取り違えると、必要のない処方を続けることになります。
すでに必要な知識を持っているのに、
「話すと失敗する」
「間違えると恥ずかしい」
「黙っていた方が安全」
と感じている生徒に、さらに知識を足しても、発話が増えるとは限りません。
むしろ、「まだ自分には知識が足りないんだ」という感覚を強めてしまうこともあります。
JLPTでは高いレベルに合格していても、会話になるとなかなか言葉が出てこない学習者もいます。
だから、生徒が話さないとき、「何を知らないんだろう」だけを見るのではなく、「なぜ、この場では話さないんだろう」と考えてみる。
書けばできるのか。
相手が変わればできるのか。
話題が変わればできるのか。
訂正されないと分かれば話せるのか。
条件を変えながら見ていくと、原因が見えてくることがあります。
「話せない」と「話さない」。
表面上は、どちらも沈黙です。
でも、原因が違えば、教師がするべきことも変わります。
知識が足りないのであれば、教える。
練習が足りないのであれば、練習する。
でも、話すこと自体に心理的なハードルがあるのであれば、必要なのは、さらに教えることではなく、「話しても大丈夫」と思える場をつくることです。
黙っている生徒を見たとき、「何が分からないんだろう」だけではなく、「何が、この生徒を話さなくさせているんだろう」という視点も持っていたいと思います。






