継げないものを持っている人が、一番かっこいい

目次
1. 継げないものを持っている人が、一番かっこいい
2. 言葉にできないから、簡単には継げない
3. 同じ場所にいても、見えているものは違う
4. 日本語講師にも「継げないもの」がある
5. 誰かと同じ講師にならなくていい
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継げないものを持っている人が、一番かっこいい
先日、父が以前手がけた仕事が、YouTubeのとあるチャンネルで取り上げられていたことがわかりました。
実は1年ほど前に紹介されていたようなのですが、家族も仕事関係の人も誰も気がついておらず、友人がたまたま見つけて教えてくれたのでした。
しかも、そのチャンネルは登録者数250万人以上。
動画も120万回以上再生されていました。
つまり、私たちがまったく知らないところで、ものすごい数の人が父の作品を見てくれていたということになり、我が家はちょっとした騒ぎになりました。
そして、そのときにふと思ったんです。
「継げないものを持っている人って、一番かっこいいな」と。
私は父の娘ですが、血がつながっているからといって、同じ才能を受け継いでいるわけではありません。
考え方や感性の一部、ものの見方、影響を受けた部分はもちろんあると思います。
けれど、父が持っている才能や技術そのものは、絶対に私のものにはならない。
それが少し残念でもあり、同時にすごくかっこいいことだなと思いました。
もちろん、お金や不動産のような「継げるもの」も、あるに越したことはありません。
あったら嬉しいですし、現実的にはそちらの方がありがたいかもしれません。
でも、価値としては、「継げないもの」の方が圧倒的に高いのではないか。
そんなことを考えました。
言葉にできないから、簡単には継げない
もちろん、才能やセンスの一部は、親から子へ受け継がれることもあるのだと思います。
世の中には、アスリートや芸能人、芸術家の「2世」と呼ばれる人たちがたくさんいます。
同じ世界で活躍している親子を見ると、やっぱり環境や感性、身体能力、ものの見方の一部は、何かしら受け継がれるのかもしれないと思います。
でも、それは「同じ才能をそのまま受け継げる」ということとは違います。
親が持っているものを、子どもがそのままコピーできるわけではない。
技術を教わることはできても、環境を共有することはできても、その人が積み重ねてきた時間や感覚までは、丸ごと受け取ることはできません。
人には、言葉にして説明できる知識と、言葉にしきれない知識があります。
たとえば、自転車の乗り方を完全に言葉だけで説明するのは難しいですよね。
料理人の火加減、職人の手の感覚、写真家がシャッターを押す一瞬の判断。
そういうものは、すべてをマニュアルにすることができません。
本人は確かにわかっている。
でも、全部は説明できない。
だから、簡単には継げない。
父の作品を見たときに私が感じた「継げなさ」も、きっとそれに近いものだったのだと思います。
同じ場所にいても、見えているものは違う
最近、オリンピックの公式写真を撮っているカメラマンの方とお会いする機会がありました。
その方のお話を聞いていても、同じことを感じました。
きっと、写真の技術は学べます。
構図、光の使い方、機材の知識、撮影の経験。
そういったものは、努力で積み上げることができるのでしょう。
でも、同じ場所に立っていても、何を見るかは人によって違います。
同じ被写体を前にしても、どこに美しさを感じるかは違います。
同じ瞬間にいても、何を残したいと思うかは違います。
その人がその瞬間に何を見て、何を切り取り、どんな一枚にするのか。
そこには、その人にしかない感覚があります。
誰かが真似しようとしても、完全には盗めない。
弟子がいたとしても、全く同じものを継ぐことはできない。
そういうものを持っている人は、やっぱりかっこいいなと思います。
日本語講師にも「継げないもの」がある
そして、これは特別な芸術家やカメラマンだけの話ではないと思います。
私たち日本語講師にも、同じことが言えるのではないでしょうか。
文法の知識は学べます。
教案の作り方も学べます。
教材の使い方も、レッスンの進め方も、ある程度は型として共有できます。
でも、
何を、どうやって教えるのか。
どんな経験をもとに、生徒の悩みを受け止めるのか。
どんな視点で、その人の課題を見るのか。
どんな言葉で、生徒の背中を押すのか。
そこには、その講師にしかないものが必ず出ます。
私自身、今はキャリア支援の日本語講師養成講座を開いていて、受講生のみなさんにノウハウや考え方、具体的な支援の方法をお伝えしています。
でも、そこでお伝えしているのは、私と全く同じキャリア支援ができるようになるためのものではありません。
むしろ、そうでなくていいと思っています。
同じノウハウを学んでも、どんな生徒に寄り添いたいと思うのかは、一人ひとり違います。
そして、そこにこそ意味と価値があるのだと思います。
同じ文法を教えていても、同じ教材を使っていても、生徒が受け取るものは同じではありません。
なぜなら、教える人自身の経験や価値観、言葉の選び方、待ち方、励まし方が、授業の中に必ずにじむからです。
それが伝わったとき、そこには講師自身の「継げないもの」が出ているのだと思います。
ただ、「継げないものが大事」というのは、何も学ばなくていいという意味ではありません。
むしろ、型や知識を学ぶからこそ、自分の経験や感性をどこで活かせるのかが見えてくるのだと思います。
何も知らない状態では、自分らしさも強みも、ただの感覚で終わってしまいます。
誰かの型を学ぶことは、誰かと同じになることではありません。
自分にしかできない支援を見つけるための土台を作ることなのだと思います。
誰かと同じ講師にならなくていい
誰かと同じ講師になる必要はありません。
有名な先生の発信を真似する必要もありません。
売れている人の言葉を、そのまま借りる必要もありません。
大事なのは、
「自分にしか見えないものは何か」
「自分だから支えられる人は誰か」
「自分の経験が、誰の役に立つのか」
を見つけていくことだと思います。
継げないものを持っている人は、かっこいい。
でもそれは、生まれ持った天才的な才能だけを指すわけではありません。
自分の経験や感性を、学んだ知識や型と重ねながら、誰かのために使える形にしている人。
そういう人もまた、誰にも代わりがきかない存在だと思います。
日本語講師として長く選ばれていくためにも、「何を教えられるか」だけではなく、
「なぜ自分がそれを教えるのか」
「誰に届けたいのか」
「自分だからできる支援は何か」
を考えることが、これからますます大切になると思います。






