言語習得のゴールは、ネイティブになることではない

目次
1. 言語習得のゴールは、ネイティブになることではない
2. 発音指導の目的は、なまりを消すことではない
3. 言葉を学ぶことは、文化の見え方を増やすこと
4. 講師が見るべきは、発音の粗ではなく、生徒の未来
5. 自分の声で、日本語を使える人に
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言語習得のゴールは、ネイティブになることではない
日本語をとても流暢に使い、日本で長く活躍している外国人はたくさんいます。
テレビや出版、教育、ビジネスの世界でも、日本語で冗談を言い、専門的な議論をし、人の心を動かす方々がいます。
最近では、テレビでよく見る「外国人タレント」だけではなく、YouTubeでも日本語が非常に上手な外国人の方をよく見かけるようになりました。
たとえば、Youtubeチャンネル Mr.Fuji from Japanの動画に出てくる外国人のみなさんの日本語レベルは、本当に高いなといつも思います。
もちろん、外国語なまりがまったくないわけではありません。
それでも、みなさん日本語で自分の考えや経験、感情をしっかり伝えています。
正直、あの方々が私のレッスンに来たら、私は「もう教えることがほとんどないのでは」と思ってしまうかもしれません。
それくらい、自分の言葉として日本語を使えている。
その姿を見るたびに、私は思います。
日本語が上手いとは、ネイティブのように聞こえることだけなのだろうか。
発音も、語彙も、文法も、もちろん大切です。
しかし、日本語を学ぶ人が最終的に目指すべきなのは、「日本人とまったく同じように聞こえること」ではありません。
その言葉を使って、自分の考えを伝えられること。
仕事を進められること。
人と信頼関係を築けること。
困ったときに助けを求められること。
自分らしいユーモアや感情まで表現できること。
私は、そこまでできる日本語を「使える日本語」だと考えています。
発音指導の目的は、なまりを消すことではない
もちろん、発音指導は必要です。
「びょういん」と「びよういん」のように、音の違いが意味に関わることもあります。アクセントやイントネーションによって聞き取りにくくなったり、意図とは違う印象を与えたりすることもあります。
ですから、決して発音を軽視していいと言っているわけではありません。
ただ、発音指導の目的を「ネイティブと同じ音にすること」だけに置いてしまうと、生徒はいつまでも「自分の日本語は不十分だ」と感じ続けることになります。
第二言語の発音教育では、長い間、「ネイティブのような発音」を目標にする考え方が強くありました。しかし、最近では、発音教育の目標には、母語話者らしさを目指す考え方だけでなく、相手に理解されることを重視するべきだという考えが出てきています。
また、「外国語なまりがあること」と「理解しにくいこと」は同じではないと論じる研究もあります。なまりが聞こえても、十分に理解しやすく、円滑にコミュニケーションできる話し方はあるということです。
これは日本語教育にも重要な示唆を与えてくれます。
講師が直すべきなのは、「日本人らしくない音」そのものではなく、意味が伝わりにくくなる音、相手に過度な負担をかける話し方、本人が必要な場面で困る部分です。
発音は、本人らしさを消すために磨くのではありません。
その人の言葉が、もっと正確に、もっと自信を持って相手に届くように磨くものです。
言葉を学ぶことは、文化の見え方を増やすこと
日本語を長く学んでいる人や、日本で長く暮らしている人を見ていると、単語や文法だけではなく、日本語の背景にある感覚を理解していっている様子が見られます。
日本人や日本社会の「欧米化」という表現があるなら、これは在日外国人の「日本化」とも言えるのかもしれません。
最近、これを実感した出来事がありました。
先日、父がぎっくり腰になったり、仕事が1本なくなったりと、3週間ほどの間によくないことが続きました。最後には巨大なムカデに刺されるという出来事まで起こり、そのとき父は、刺されたところに薬を塗りながら、英語で “I’m going to the shrine tomorrow.” と言いました。
良くないことが続いたときに、神様がいる場所へ行く。
自分自身をリセットし、清めるために、神社に足を運ぶ。
日本人にとっては、自然な感覚かもしれません。
でも、それがアイルランド出身の父の口から自然に出てきたことが、私にはとても印象的でした。
父も、長く日本で暮らし、日本の人と関わり、日本の文化に触れる中で、そういう発想が自然に出てくるようになったのだと思います。
言葉を学ぶというのは、こういうことでもあるのかもしれません。
その土地の人が何を大切にし、どんなときにどこへ向かい、どのように物事を捉えるのか。
そうした感覚が、少しずつ自分の中に入ってくる。
私は、そこに言語を学ぶ豊かさがあると思っています。
講師が見るべきは、発音の粗ではなく、生徒の未来
レッスンで、生徒の発音を直すことはありますよね。
聞き取りにくい音。
誤解につながりやすいイントネーション。
より明確に伝えた方がよい話し方。
必要な部分は、責任を持って指導するべきです。
でも、私たち講師が見るべきなのは、発音の粗だけではありません。
この生徒は、日本語で自分の経験を語れるようになったか。
職場で困ったときに、相談できるようになったか。
相手との距離に合った表現を選べるようになったか。
日本語を使うことで、選べる仕事や出会える人が増えたか。
以前より、自分の言葉で堂々と話せるようになったか。
私は、そこを見たいのです。
私たちが教えているのは、日本人の話し方の「ものまね」ではありません。
生徒が、自分の声のまま、日本語で生きていけるようになるための力です。
自分の声で、日本語を使える人に
言語習得のゴールは、ネイティブになることではありません。
日本人とまったく同じ発音になることでも、日本人と同じ感覚を持つことでもありません。
発音を磨く。
語彙を増やす。
文法を整える。
場面に合った表現を身につける。
文化的な背景を理解する。
そのすべては、生徒が自分を消すためではなく、自分の世界を広げるためにあります。
日本語を使って、人とつながれる。
仕事で信頼される。
自分の考えを伝えられる。
笑ったり、悩んだり、助けを求めたりできる。
日本という社会の中で、自分らしい居場所を作っていける。
それが、私が考える言語習得のゴールです。
多少のなまりがあっても、あなたの日本語は届く。
そして、もっと届くように、一緒に磨いていける。
そう伝えられる講師でありたいと思っています。






