伸びる生徒の裏には、伸びる講師がいる

目次
1. 伸びる生徒の裏には、伸びる講師がいる
2. ノートは「写すもの」ではなく「次に使うためのもの」
3. 講師が全部渡すと、生徒は「受け取る側」になる
4. ノートの取り方も、講師が育てる
5. 理解しただけでは、話せるようにならない
6. オンラインレッスンだからこそ、発話の設計が必要になる
7. 生徒が伸びないとき、講師が見直せること
8. 関連記事
伸びる生徒の裏には、伸びる講師がいる
「伸びる生徒って、どんな生徒ですか?」
そう聞かれたとき、私はまず二つの行動を思い浮かべます。
一つは、ノートを取ること。
もう一つは、声に出すことです。
もちろん、語学の習得には個人差があります。
言語センスがある人。
記憶力が高い人。
耳がいい人。
一度聞いただけで、すっと使えるようになる人。
そういう生徒もいます。
けれど、これまで日本語を教えてきて感じるのは、最終的に伸びる生徒は、もともとの能力が高いだけではなく、伸びる学び方をしている生徒だということです。
そして、その学び方は、生徒だけの力で自然に身につくものではありません。
講師が何を促すか。
どこに意識を向けさせるか。
どんな練習の流れを作るか。
それによって、生徒の伸び方は大きく変わるように思います。
ノートは「写すもの」ではなく「次に使うためのもの」
私は、そもそも人間の記憶力というものをあまり信用していません。
人は忘れる生き物だからです。
レッスン中に「なるほど」と思っても、
その場では「わかった」と感じても、
数日たてば、多くのことは抜けていきます。
だから私は、トライアルレッスンのときに必ず伝えていることがあります。
それは、私のレッスンでは必ずノートを取ってもらう、ということです。
レッスンを受けられるのは、多くても週に1〜2回です。
それ以外の日は、自分で復習し、自分で練習し、自分で日本語に触れていかなければなりません。
そのときの土台になるのが、レッスン中に自分で取ったノートです。
聞いたことをすべて記憶できる特殊能力でもあれば苦労はありませんが、現実にはそんなことはありません。
だからこそ、自分が忘れることを前提に、忘れないための仕組みを作る必要があります。
その仕組みの一つが、ノートです。
ノートを取ることは、ただ先生の言葉を書き写すことではありません。
自分が忘れそうなことを残す。
自分が間違えたことを残す。
次に使いたい表現を残す。
あとで見返して、自分で練習できる形にしておく。
この作業ができるかどうかで、レッスン以外の時間の質が大きく変わります。
少し厳しく聞こえるかもしれませんが、語学力は受け身では伸びません。
講師が全部渡すと、生徒は「受け取る側」になる
先生が説明してくれる。
先生がまとめてくれる。
先生が全部残してくれる。
この状態に慣れてしまうと、生徒はどうしても「受け取る側」になってしまいます。
私も、日本語を教え始めた一番最初の2ヶ月ほどは、レッスン中に自分が話したことをまとめて、生徒に共有していました。「親切な先生」と思ってもらえるかなと考えたからです。
でも、それはすぐにやめました。
こちらが全部きれいにまとめて渡してしまうと、生徒は安心してしまうからです。
「あとで見ればいい」
「先生がまとめてくれる」
「自分で書かなくても大丈夫」
そうなってしまうと、レッスン中の集中の仕方も変わります。
今では、私がレッスン中に画面上で書いたことは基本的に残しません。
だから、生徒にははっきり伝えています。
「必要なことは、自分でノートを取ってください」
学校の授業でも、授業が終われば黒板の文字は消されます。
休んだ日のノートを写すために、友達にノートを借りた経験がある人も多いと思います。
それくらい、ノートは学びの土台だということです。
ノートの取り方も、講師が育てる
実際、第二言語学習におけるノートテイキングの研究でも、この点は示唆されています。
第二言語の入力を受けながら行うノートテイキングに関する研究結果の分析では、ノートを取ることには学習に対してある程度の正の効果があると報告されています。
さらに興味深いのは、単に「ノートを取ってください」と任せた場合よりも、ノートの取り方を指導した場合の方が、学習効果が大きかったという点です。
つまり、ノートを取る力は、生徒の主体性だけに任せるものではなく、同時に講師側にも問われていることだと思います。
生徒がノートを取りたくなるようなレッスンになっているか。
何を残せばいいのかが見える授業になっているか。
そのノートを、次の発話や復習につなげる設計ができているか。
伸びる生徒は、ただ真面目にノートを取っているのではありません。
自分の日本語を変えるために、ノートを使っています。
そして、その使い方を育てられるかどうかも、講師の大事な役割なのだと思います。
理解しただけでは、話せるようにならない
もう一つ、伸びる生徒に共通しているのが、声に出すことを避けないことです。
語学学習では、文法を理解することも、単語を覚えることも、例文を読むことも大切です。
でも、それだけで会話の場面で自然に言葉が出てくるとは限りません。
実際に口を動かして、音を出してみる。
言いにくさを感じる。
間違える。
言い直す。
もう一度、言ってみる。
この繰り返しがあって初めて、知識は「知っているもの」から「使えるもの」に変わっていきます。
「同時通訳の神様」と呼ばれ、1969年のアポロ11号月面着陸を伝えるNHKテレビ中継で同時通訳を担当した國弘正雄先生は、意味を理解した英文を繰り返し声に出して読む「只管朗読」を提唱しました。
國弘先生の実践は、語学を知識として理解するだけでなく、実際に声に出して身体に定着させることの大切さを示しています。
頭の中ではわかっていたつもりでも、実際に言おうとすると、出てこない、というのは言語学習あるあるではないでしょうか。
学習者が実際に言葉を産出しようとするとき、自分の中にある「言いたいのに言えない」「この表現で合っているのだろうか」という不足に気づきやすくなると論じている研究もあります。
つまり、発話は単なる確認作業ではありません。
生徒自身が、自分の日本語の現在地を知るための大切な学習活動です。
オンラインレッスンだからこそ、発話の設計が必要になる
特にオンラインレッスンでは、生徒がうなずいていると、講師はつい「理解できている」と感じてしまいます。
でも、理解していることと、実際に使えることは別です。
画面の向こうで「はい、わかりました」と答えた生徒が、その表現を生活や仕事の中で自然に使えるとは限りません。
だからこそ、私たちは意識して、レッスンの中に小さな発話の機会を組み込む必要があります。
さらに、言い間違いに対して適切なフィードバックを返すことも重要です。
第二言語習得における訂正フィードバックの研究を統合したメタ分析では、訂正フィードバックには学習効果があり、その効果は一定期間維持される傾向があると報告されています。
ただし、大切なのは、間違いを指摘して生徒を萎縮させることではありません。間違いを次の発話につなげることです。
間違いは、責めるものではありません。
次に使える形へ整えるものです。
生徒が伸びないとき、講師が見直せること
生徒がなかなか話さない。
同じ間違いを繰り返す。
新しい表現を覚えてくれない。
そんなもどかしい思いをすることもありますよね。
でも、その前に一度考えてみたいのです。
その生徒には、何をすればよいかが見えているでしょうか。
実際に声に出して試す時間が十分にあるでしょうか。
間違えても、もう一度言ってみようと思える空気があるでしょうか。
説明したことで、教えたつもりになっていないでしょうか。
生徒の成長は、生徒本人の努力だけで決まるものではありません。
もちろん、最後に行動するのは生徒です。
けれど、その行動を引き出し、続けやすくする環境を作るのは、私たち講師の大切な役割です。
ノートを取る。
声に出す。
間違える。
直してもらう。
もう一度使う。
伸びる生徒は、この地道な循環を続けられる生徒です。
そして、伸びる講師とは、単に日本語をわかりやすく説明できる人ではありません。
生徒がこの循環に自然に入れるよう、レッスンを設計できる人だと思います。
伸びる生徒の裏には、伸びる講師がいる。
生徒の変化を願うなら、まず私たち自身が、生徒の「伸びる行動」を引き出せる存在でありたいと思います。






