「国宝」を観て考えた、血の話

目次
1. 「国宝」を観て考えた、血の話
2. DNA検査をしてみた
3. アイルランドとイギリスの複雑な関係
4. 「純粋な血」など、もともとないのかもしれない
5. それでも、人は血をめぐって争う
6. 血の先に残るもの
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「国宝」を観て考えた、血の話
こんにちは。Enuncia代表のハミルトン葉奈です。
映画「国宝」を観ました。
(ネタバレを含むので、未鑑賞の方はご注意ください)
大ヒットを記録した「国宝」は、皆さんご存知の通り、歌舞伎の世界を舞台にした物語です。
ヤクザの息子に生まれた吉沢亮さん演じる喜久雄と、歌舞伎役者の名家に生まれた横浜流星さん演じる俊介。
ふたりの主人公が交差しながら、芸の道を歩んでいく。
詳しい内容はぜひ実際に観ていただきたいので深くは書きませんが、私はこの映画は「血」の話だと思いました。
喜久雄には血筋がない。
俊介には血筋がある。
世襲が一般的である歌舞伎の世界では、その差が、才能とは別のところで人の運命を決めていく。
どれだけ芸に秀でていても、血の後ろ盾がなければたどり着けない場所がある。
血筋への渇望と、血筋への呪縛。
その両方が描かれていて、これは歌舞伎の話であると同時に、もっと普遍的な何かの話でもあると感じました。
実は、私はもともと吉田修一作品が苦手です。あまりにも救いのない話が多いから。
でも「国宝」には、どうにもできない「血」という救いのなさの中に、「芸」という別の救いがありました。
そこが、多くの人の心をつかんだ理由のひとつなのではないかと思います。
DNA検査をしてみた
実は、この映画を観る少し前に、DNA検査をしました。
何か深刻な理由があったわけではありません。
ただ単に、おもしろそうだったからです。
私がやれば、必然的に父方のルーツと母方のルーツの両方がある程度わかるわけですから、話のタネになるだろうと思ってやってみたのです。
私の父はアイルランド人です。
ハミルトン家はスコットランド系で、さらにルーツをたどるとフランスに行き着くと言われています。だから、フランスやスコットランドの要素が入っていることは、最初からわかっていました。
一方、母方は京都北部にルーツがあります。
この地域は、古くから日本海ルートの拠点として朝鮮半島や中国大陸と交流し、鉄器やガラス製品、先進的な土木・航海技術を比較的早い段階で受け入れていたと考えられています。
だから、母方にもきっと大陸や朝鮮半島につながる要素があるかもしれない、と想像していました。
日本、アイルランド、スコットランド、フランス、韓国。
少なくともこのあたりは結果に出るのではないか。
そんなふうに思っていました。
ところが、返ってきた結果をがこちら。
まさかの、アイルランドがゼロだったのです。
もちろん、こうした民間企業が行うDNA検査は医学的診断とは違い、精度にも限界があります。
だから結果を絶対視するつもりはありません。
それでも、父はアイルランド人なのに、私の中から「アイルランドの血」が検出されないというのは、とても不思議な感覚でした。
ちなみに、イギリス人とスコットランド人、あるいはアイルランド人を、血のレベルで明確に分けることは難しいのだそう。
そのため、私の結果では「イギリス」としてまとめて表示されたのだろうと思います。
考えられる理由はいくつかあります。
ハミルトン家はプロテスタントですが、アイルランドは歴史的にカトリックが多数派です。
宗教的な線引きが長く続いてきたため、父方の家系は「アイルランドに住む人々」の中でも、主にプロテスタント系、つまりブリテン島由来の家系同士で婚姻を重ねてきた可能性があります。
そう考えると、では「アイルランド人」とは何なのだろう、と思わずにはいられません。
父も、父の家族も、確かにアイルランド人としての誇りを持って生きている。
けれど、生物学的な分類だけで見れば、彼らはアイルランド人ではないのです。
アイルランドとイギリスの複雑な関係
ここで少し、アイルランドの歴史に触れたいと思います。
日本ではあまり知られていませんが、アイルランドとイギリスの関係は、非常に複雑です。
12世紀からイングランドによる介入が始まり、17世紀には支配が決定的になります。
カトリックであるアイルランド人は土地を奪われ、財産権や政治参加、高等教育の機会を大きく制限されました。
1845年から始まったジャガイモ飢饉では、100万人以上が亡くなり、さらに100万人以上がアメリカへ渡ったとされています。
当時およそ800万人いた人口は、その後大きく減少しました。
飢饉の最中も、アイルランドから食料がイギリスへ出ていったという事実は、今も重く語られます。
1949年、アイルランドは共和国として独立します。
けれど島の北部は現在もイギリス領に残り、20世紀後半まで武力衝突が続きました。
和平合意が成立したのは1998年のことです。
何百年にもわたる支配と抵抗、そして怨恨の歴史。
その歴史のなかで、スコットランドからアイルランドに渡ったプロテスタント系のハミルトン家は、どちらかといえば支配する側の系譜に連なっていたのだと思います。
「純粋な血」など、もともとないのかもしれない
アイルランドという国に生まれ、アイルランド人として生きてきた父は、遺伝的に見れば、ブリテン諸島とヨーロッパ大陸の混合体でした。
もしかすると、かつてアイルランドを征服した側の血も、父の中には流れているのかもしれません。
でも、考えてみればそれは当たり前のことです。
人は何千年ものあいだ、移動し、争い、奪い、交わり、混ざり合ってきました。
ケルト人の前には別の人々がいて、その前にもさらに別の人々がいた。
血はずっと流動していて、国境をきれいになぞるようなものでは最初からなかったはずです。
そう思うと、「純粋なアイルランド人」も、「純粋なイギリス人」も、「純粋な日本人」も、細胞レベルでは最初から存在しないのかもしれません。
私たちは、歴史的にも生物学的にも、想像以上に混ざり合った存在なのだと思います。
それでも、人は血をめぐって争う
映画「国宝」の中で、喜久雄が渇望したのは、「血の後ろ盾」でした。
そして現実の世界でも、人は今なお血をめぐって争っています。
民族、国籍、宗教。
パレスチナとイスラエル、かつてのアイルランドとイギリス、日本と韓国。
世界の多くの争いは、突き詰めれば「どの血か」「どの神か」「どこに属するか」という問いの周辺で起きています。
でも、私のDNA検査の結果が教えてくれたように、ふたを開けてみれば、私たちは皆、いろいろな土地の要素を体の中に抱えている。
争っている相手の歴史や血の一部が、自分の中にも流れているかもしれない。
アイルランド人の父から生まれた私に、アイルランドという項目が出なかった。
それはある意味で、「血」という概念そのものへの問いかけのように感じられました。
国籍も、宗教も取り払ったとき、
人は何によって「自分」を語るのだろうか、と。
血の先に残るもの
「国宝」で、血筋の上では何者でもなかった喜久雄は、芸の世界を上り詰め、人間国宝になっていきます。
その姿から感じたのは、人は、どんな血を受け継いでいるかだけでは決まらないということ。
どこに生まれたか、誰の家に生まれたか、それが人生を大きく左右することはたしかにある。
映画が描いていたのも、まさにその残酷さだったと思います。
けれど最後に人を形づくるのは、血だけではない。
その人が何を選び、何に打ち込み、何を成していくのか。
結局のところ、私たちは一人の人間としてそれを問われているのだと思います。
血はたしかに存在する。
でも、血だけがその人の価値を決めるわけではない。
「国宝」は、そんなことを改めて考えさせてくれた映画でした。






